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プランがなくても未来は変わる(2) [ディベート]

『プランがなくても未来は変わる(1)』の続きです。


前回は、AD も DA も以下の3点に分けて考えると良いと書きました。


  1. 現在の状況はどうか?
  2. プランがないと未来はどう変わる?(プランなしの未来)
  3. プランがあると未来はどう変わる?(プランありの未来)

今回は、各項目について自分なりに調べてみた結果を述べると共に、試合ではどのように扱われていたかについても紹介します。

1. 現在の状況はどうか?


原子力発電所が発電量の3割弱を担っていたのは、もう過去の話です。東日本大地震の後ではどうなっているかというと、「2007年度に26%であった総発電量に占める原子力発電所の比率は、実際に半分以下になっている」(*1) とのことです。

(*1) 『地産地消のエネルギー革命』黒石祐治著, PHP新書, 2011年, p83
(以降「同文献」とはこの本を表わします。)

同文献によれば、地震前は54基(故障含む)の原子力発電所がありましたが、以下のものが現在は運転を停止しているとのこと。

  1. 「震災により破壊、もしくは停止中が16基」
  2. 「浜岡原発の3基が政府の命令によって運転を停止している」
  3. 「定期検査中で再開のめどが立たない原発が、22基もある」

計算してみると、現在運転中の原発は十数基であることが分かります。

上記に加え、10/4 には玄海原発4号機が補修作業のミスで運転を停止しました。そのときのニュースによると、その時点で運転中の原発は10基になったとのこと。その後、11/1 には運転を再開したので、現在(今日は 11/29)運転中は 11基だと思われます。

(このブログを書く際に調べ直すまで自分は勘違いしていたのですが、玄海原発4号機の運転再開は、定期検査後の運転再開とは異なるんですね。)

では、試合ではこれらの分析はどうだったかというと、一試合を除いて上記と同様の分析が出ていました。さらに、上記の3点目については、「やがて運転を再開するだろう」というカードを読んでいました。

残る一試合については、肯定側は上記のような分析を出さず、一方で否定側は「原子力発電所が総発電量に占める割合は約三割」という震災前のカードを読んでいました。


2. プランがないと未来はどう変わる?


経験的に言って、分析が疎かになりがちなのがこの点です。プランがないと現在の状況がそのまま続くと、特に根拠もなしに思っていないでしょうか?
でも、現実には以下のようにさまざまな点で未来は変化し得るのです。

定期検査後の運転再開

現在稼動中の原発も、一定期間稼動すると、運転を停めて定期検査に入ります。もし、検査終了後に運転開始ができない状態が続くと、近い将来に全ての原発の運転が停まってしまいます。

原発の寿命

仮に原発の寿命を40年とすると、「2025年までの15年間で、さらに16基が運用年数で40年を超える」(同文献 p25)とのこと。もし新規建設をしないなら、やがて全ての原発が寿命に達することになります。一方、40年を超えても継続的に使用するとなると、安全面に必要なコストが増えると予想されます。

新規建設

同文献によると、計画中の原発は14基あるとのこと(p66)。しかし、東日本大地震の後は、建設が困難になったと考えられます。
さらに、寿命の話とあわせて考えると、仮に全部が完成しても、追加の計画がない限り、稼動する原発の総数はほぼ一定であることが分かります。

使用済み燃料の処分

核燃料の再処理の論題(2008年秋)のときにリサーチしたことがある人ならご存知だと思いますが、現在、使用済み核燃料を保管する場所が不足しています。そのため、これ以上の使用済み燃料を発生させないために原発の運転を停めざるを得ない状況もあり得ます。


これらのことは、今回の論題の下ではどんな AD や DA であっても考えておかなければならないことです(試合に出すかどうかは別として)。

さらに、AD や DA によっては、プランがない場合の未来についてもっと詳細に分析する必要があります。たとえば、「電気料金の上昇→産業の空洞化」という DA を作るなら、円高が今後どうなるかといった、空洞化に関する他の要因も調べる必要があります。また、「電力不足」という DA を出すのなら、プランがないときに電力の供給が足りるのか(簡単に言えば、来年以降も計画停電や節電要求などが行なわれるのか)についての分析が不可欠です。

では試合中に、プランがない場合の未来の状況がどのくらい出てきたかといいますと、「定期検査で運転を停止した原発は、やがて運転を再開するだろう」的な分析がケースの中であったことを除き、ほとんど見かけませんでした。そのため、「電力不足」とか「産業の空洞化」といった DA を出していても、一体何と比較しているのか分からなくなることがありました。

なお、一部の否定側は、「今後も原発を運転する/作り続ける」的なカウンタープランを出していました。でも、それで何と何とを比較しているかが明確になったのかというと、そうでもなくて……詳しくは次回に書きます。


3. プランがあると未来はどう変わる?


ケースの解決性(solvency)にしても、DA のシナリオにしても、プランがある場合の未来について述べているはずです。しかし、「プランがあると未来はどう変わる?」という点は試合中に十分に説明されていたかというと、必ずしもそうではありませんでした。ケースと DA それぞれについて、説明不足に感じられた点を挙げます。

ケースについては、プランを実行した後で既存の原発の施設がどうなるのかが不明瞭でした。解体して更地にするのでしょうか? それとも、運転だけ停止して施設はそのまま残すのでしょうか? 前者なら「安全に解体できる」という証明が必要ですし、後者なら「運転を停止していれば、地震がおきても危険は少ない」みたいな証明が必要です。しかし、どちらの証明もなく、単に「プランによって原因がなくなる」の一言で済ませている例がありました。

一方、DA については、長~い目で見たときの変化という視点があまり出てきませんでした。例えば「電力不足」という DA では、電力が不足するかどうかは需要と供給との関係で決まります。プランによって供給が減ることが証明できたとしても、需要についてはどうでしょうか? 将来、人口が減っていくと、電力の需要は減る方向に作用するでしょう。一方で、何が電気を大量に使うモノが普及すれば、需要は増えるでしょう(同文献では、そのような例として電気自動車が挙がっています)。

また、「産業の空洞化」という DA では、日本の製造業が海外(例えば中国)で生産するようになる理由として、電気料金の差の他にも、人件費の差なども考えられます。今は、日本よりも中国の方が人件費が安いわけですが、その差が将来もずっと保たれると考えるのと、将来は差が縮まると考えるのと、どちらがあり得そうでしょうか? GDP の伸びなどを考えると、後者の方があり得そうです。つまり人件費だけを考えるなら、未来になればなるほど、日本を脱出して中国で生産する「うまみ」が小さくなっていきます。

人件費の話が出たついでに書くと、「日本では全国一律に人件費が高い」と思ってしまうのは、これまた「十把一絡げ」な発想です。日本国内にも人件費が比較的安い地域があることを知っていれば、「コスト削減→国外に脱出」以外のシナリオも思いつくでしょう。

「十把一絡げ」といえば、原発を廃止したときの影響は、全部の電力会社に対して同じということは決してなく、原発の依存度が高い電力会社と低い電力会社とでは、当然ながら違ってくるでしょう。(今の電力会社は地域独占なので、原発廃止の影響が地域によって異なるとも言えます。)

――このように考えると、AD や DA のシナリオを考えるにしても、その反論を考えるにしても、いろいろバリエーションがあり得ることに気がつくのではないでしょうか?

(次回に続きます。)






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