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ジャッジの無知はディベーターの主張を成立させる (1) [ディベート]

JDA 秋大会が近いので、久々のディベートねたです。今回のタイトルは角が立ちそうですが、そのわけは後で述べます。


最初に、ちょっとした問いかけです。

何らかのトピック(例えば原発廃止)についてディベートしているとします。ジャッジがディベーターの主張を受け入れやすいのは、ジャッジがそのトピックについて詳しい知識を持っている場合と持っていない場合のどちらだと考えられるでしょうか?

「苦労してイシュー(ケースや DA など)を作ったのに、ジャッジがその分野に詳しくなかったばっかりに採用してくれなかった」という経験を持つ人は、「詳しい知識を持っていない場合」の方だと答えるかもしれません。

でも、ディベートに長年関わってきた感触からすると、むしろ逆に、ジャッジが知識不足である場合の方が、ディベーターの主張を受け入れてしまいやすいと感じています(統計を取ったわけではありませんが)。それは、以下のような理由に拠ります。


  1. ジャッジに知識が不足していると、ディベーターの主張に不備があってもそれを見抜けない。
  2. さらに、相手チームが主張の不備を指摘しても、それが強い反論であることに気づかない。

別の言葉で言えば、「知識がないと、騙されやすい」とも言えます。

以下では、具体例をいくつか紹介します。今回は、特定のトピックの下で起こりやすい現象に的を絞ります。いずれも、「特定のトピックの下で」と言いながらも頻度が比較的高いものです。

(例によって、AD は advantage (利益)の略、DA は disadvantage (不利益)の略を表わします。)

放射能と放射線


『十把一絡げ』続き」でも書いたのですが、放射能と放射線とはよく混同されます。そういう状態の人がディベートのイシューを作ると、両者の違いを知っている人がから見たら繋がっていないシナリオになってしまうことがあります。例えば、「配管が破損すると放射能(放射性物質)が外界に漏れる」という主張の次が「放射線に被曝すると、健康に害がある」という主張だったりという感じです。

ジャッジが両者の違いを理解していれば、このようなシナリオを見ても途中が繋がっていない、つまり「放射能漏れ」から「放射線被曝」までのリンクを証明していないことが分かります。また、相手チームが「放射能漏れ」と「放射線被爆」との間のリンクがないことを指摘すれば、それが本質的な反論であることも分かります。

しかし、ジャッジ自身も両者を混同していると、あたかもシナリオが繋がっているかのように思ってしまうかもしれません。それどころか、相手チームが前述のような指摘をしても、大したことない反論だと思ってしまうかもしれません。結果として、このようなシナリオをジャッジが受け入れてしまうこともあり得ます。(これが今回の題名の意図です。)

対策は何かというと、身も蓋もない話ですが、「原子力について詳しくなりましょう」に尽きます。ディベートの中に限らず、今のご時勢では風評被害に惑わされないためにも知識が必要ですし、それゆえに分かりやすい解説書が出回っています。

それにディベートの中でも、原子力の話は意外と多くの論題で出てくる可能性があります。原発の廃止や核燃料サイクルの放棄といった論題ではもちろんのこと、他にも例えば軍事関係の論題では、核兵器や原子力潜水艦に関連して出てきます。さらに過去の例を挙げると、ダム建設中止の論題のときに、水力発電ができなくなって不足する電気を原子力発電で補うといった DA が出ていました。(火力発電ではなくて原子力発電を使用する理由が「火力発電は出力の調整が容易ではないから」という自己矛盾を起こしている DA でしたが。)

感染と発症


医療に関する論題というのは比較的頻度が高いのですが、そのときによく見かける混同がこれです。

ウィルスや細菌に感染するという現象と、症状が現れる(発症)という現象とは別で、発症せずにウィルスや細菌が消えてしまう場合もありますし、長い潜伏期間の後で発症する病気もあります。

ところが、この辺りの知識がないと、感染と発症とを混同したシナリオを作ってしまうことがあります。例えば、以下の2つの主張があったとします。

  • ~すると、(病名)になることがある。
  • (病名)になると、死ぬ場合がある。

一見すると繋がっているようですが、よく見てみると、同じ「(病名)になる」でも、前者は感染、後者は発症のことだったりして、感染から発症へのリンクを示していないことがよくあります。

また、薬の中には発症を防ぐものがあります。そういった薬が存在するという主張が前述のシナリオに対してどういう働きをするか判断するためにも、ジャッジは感染と発症とを区別している必要があります。以下のような例を見てみましょう。

否定側の DA

前述の、感染と発症とを混同したシナリオ

肯定側の反論

(薬品名)という薬により、発症を抑えられる。

否定側の再反論

(薬品名)は、ウィルスを殺せないので、病気を完治しているわけではない。


形式だけ見ると、肯定側の反論が否定側に再反論されたため、最初のシナリオが残ったように見えなくもありません。しかし、主張の中身まで見ると、別の判断ができます。

  • 最初のシナリオでは、感染から発症へのリンクを証明していない。
  • 肯定側の反論は、感染から発症へのリンクを否定する働きがある。
  • 否定側の再反論は、この薬に発症を抑える働きがあることは認めている。

こんな感じで、このシナリオにおいて発症以降は否定されたままであると判断できます。つまり、もしこのシナリオで否定側がインパクト(深刻性)として主張したのが「死ぬこと」だけなのであれば、この議論は勝敗には影響しなくなります。

なお上で「ウィルスや細菌」と書きましたが、この二つも知らないと混同されやすいものです。うっかり「インフルエンザの菌」とか言ってしまったりしますからね。うまく違いを説明できないようであれば、調べてみましょう。

飢饉と生産性


今度は、対外援助といったプランが出せる論題において比較的よく出てくる話です。

「ある国では、凶作のために飢饉が発生している。そこで、プランで農業技術の援助を行う」みたいなケースは比較的見かけます。しかし、その解決性の部分が「技術援助によって、農作物の収穫が増える」(またはもっと漠然と「農業の生産性が向上する」)程度しか示していないことがあります。

凶作から飢饉というのはイメージしやすいので、あまり詳しくないと、何となくその逆である「収穫が増えれば飢饉が解決する」も成立すると思ってしまうかもしれません。しかし、飢饉の原因について知れば知るほど、その原因は複合的であることが分かります。例えば、物流が整備されていないと、たとえ生産地では豊作になっても、それを他の地域に届けることができず、他の地域では飢饉が続くこともありえます。また、治安が悪いと、運んでいる途中で強奪されてしまう(または、強奪が怖くて運べない)ということも起こりえます。

こうしたことから、「技術援助によって農作物の収穫が増える」というカードを読むだけでは、飢饉の解決の証明にはなっていないとジャッジは判断すべきだと思っています。

今回は、「その分野の知識がないと、証明不足でもそれに気づかない」という観点から書きましたが、イシューの構成という観点では、「内因性や重要性と解決性とが対応していない」現象として捉えることもできます。その点については、次回に説明する予定です。

他にも


「ジャッジが特定のトピックについて知っているばかりにアラが見えてしまう」という現象、またはその逆に「ジャッジが詳しくないばかりに、重要な反論を無視してしまう」という現象は、上記の3つに限らず、本当にいろいろ発生します。以下は、そんな例を手短に紹介します。

試合で引用された資料について、引用された部分の前後も含めてジャッジが詳しく読んであったりすると、「その文献はそんな強い主張はしていない」といったことが分かってしまいます。例えば死刑廃止の論題(2007年のJDA後期論題)のとき、1990年代前半の新聞記事(正しくは座談会)を引用していたチームがあったのですが、自分はたまたまその記事をかつてよく読んでいたため、そんなことを思いました。

他の例に行きます。雇用形態や勤務形態などは現実にはさまざまなバリエーションがあるのですが、ディベートの試合では単純化されて議論されるときもあります。ワークシェアリング(2009年前期)や育児休業(2004年後期)の論題のときに、それを強く感じました。

他の例を挙げると、世の中の状況が変わったにもかかわらず、その変化を知らずに(または無視して)ディベートが行なわれていた例もあります。20年位前の英語ディベートの例になりますが、当時は冷戦構造がなくなりつつあったのに、それを前提にした主張が残っていたりました。例えば、「通常兵器を使った地域的な戦争は全面核戦争へとエスカレートする」とか「核戦争のリスクはたとえどんな犠牲を払ってでも回避すべきだ」みたいなカードは、基本的に東西の緊張が非常に高まっていた頃を想定したものだったのですが、90年代になってもそんなことはお構いなしに使われていました。後者のカードについては、私は対抗のために「冷戦は終わり、全面核戦争の恐怖は去った」みたいなカードを読んでから「状況が変わったのだから、そのイシュー(主に DA)を absolute voter 扱いにするのは止めましょう」みたいなアピールをジャッジに対してしたこともあるのですが、あまり聞き入れてもらえなかった苦い思い出もあります。(そんな状況が一変したのは、1993年に論題が狭くなってからだと記憶しています。)

やはり20年位前の例として、行政指導というカウンタープランの扱いがあります。当時の行政指導の特徴の一つは、「法律上に明確な根拠があるわけではない(が、指導された方は従ってしまう)」という点だったと理解しているのですが、1993年に行政指導を規定する法律ができたことで、前提が一変しました。しかしディベートの試合では、そんな法律などなかったのごとく、法律制定前と同じ議論が出ていました。(確か 90年代後半に、あるモデルにそんな行政指導のカウンタープランが含まれていまして、それに対して「状況が変わっているよ」みたいなコメントをした記憶があります。)

冷戦にしても行政指導にしても、共通しているのは、「論題の中心のトピックからは外れていたために、最新の状況をリサーチする人があまりいなかった」という点だと思います。

ここで話を現在に戻します。現時点で似たような例になりそうだと予想しているのが、炭素税(環境税)に関する議論です。今年の10月に、「環境税」が導入されました(参考)が、知らない人も多いのではないでしょうか? 私もあまりリサーチしていないのですが、一つ確実にいえることは、かつて炭素税の論題が出ていたとき(JDAなら2010年前期)とは状況が変わってしまい、当時の議論そのままは今では通用しない可能性が高いということです。

だから例えば、今回の道州制の論題において、「それぞれの道や州が炭素税を導入する」という議論(AD なのか DA なのか分かりませんが)を思いついたとして、その際に2年前の議論をそのまま流用すると、現在の状況と合っていないものになってしまいます。

終わりに


いろいろ偉そうなことを書いてしまいましたが、過去の自分のジャッジングを振り返ると、知識不足によってあやふやな判定をしてしまったと後悔することが皆無ではありません。そんな反省も込めて、今回のブログは書いています。

次回は、やはりジャッジに知識が要求される例について、別の観点から紹介します。



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