SSブログ
前の10件 | -

REVIVE USB micro を使って MSX用のジョイスティックを PC に繋いでみた。 [PC]

8年ぶりくらいの更新になります。

6月に、REVIVE USB の小型版である REVIVE USB micro が発売されたので、それを使って MSX 用のジョイスティックを PC に接続するためのアダプターを作ってみました。

REVIVE USB は通常モードでは最大で12個のスイッチを接続できるので、2台のジョイスティックを繋いてみました。また、設定により、一方を USB ジョイパッド、もう一方を USB キーボードとして見えるようにしてみました。


DSC_2185.JPG
上の写真では、XE-1ST(左)とジョイカード(右)という2台のジョイスティックを繋いでいますが、右が USB ジョイパッド、左が USB キーボード(十字キーがカーソルキーに対応)として見えるように設定されています。

1. 用意するもの



品目数量備考
REVIVE USB micro1
D-sub 9ピンコネクター(オス)2
ピンヘッダー 7ピン1列2
ピンヘッダー 2ピン1列1GND用(なくても可)
プリント基板1
ケース1ダイソーの「ネジ・釘・パーツ用ミニケース(5個組)」を使用
ボルト・ナット・ワッシャー等適量自分は6セットを使用
線材適量


作る前に考えたのは、コネクターと REVIVE USB micro とを固定する方法についてでした。結局、ケースにボルトで取り付けることにしたのですが、REVIVE USB micro はコンパクトなのでネジ穴がついていません。そこで、ピンヘッダーを介して REVIVE USB micro をプリント基板に固定し、プリント基板ごとケースに取り付けます。

2. 作り方



2つの D-Sub 9pin コネクターと REVIVE USB micro との間を以下のように配線します。
D-Sub (1) D-Sub (2) REVIVE USB
1 (up) 1
2 (down) 3
3 (left) 5
4 (right) 6
5 (+5V) +5V
6 (button A) 2
7 (button B) 4
8 (com) GND
9 (GND) GND
1 (up) 7
2 (down) 9
3 (left) 11
4 (right) 12
5 (+5V) +5V
6 (button A)8
7 (button B)10
8 (com) GND
9 (GND) GND

REVIVE USB mirco 側のピン番号が不規則に見えますが、D-sub コネクターと最短距離で配線したらこうなりました。

配線図は以下の通りです。D-sub コネクターのピン番号は、裏面(半田付けする側)から見たものです。

connections.jpg

以下は製作途中の写真です。

DSC_2163.JPG
REVIVE USB micro をピンヘッダーを介してプリント基板に取り付ける一方、2つの D-Sub コネクターに線を半田付けしたところです。

DSC_2167.JPG
さらに、プリント基板とD-Sub コネクターとを線で繋いだところです。

DSC_2169.JPG
裏面。銅箔テープを 2か所で使っていますが、上部が +5V で下部が GND です。

DSC_2157.JPG
DSC_2158.JPG
↑加工前のケース(上)および、D-Sub コネクターを取り付けるための穴を開けたところ(下)。

DSC_2170.JPG
プリント基板および D-Sub コネクターをケースに取り付けたところ。

加工前のケースには、蓋を固定するためのフックと出っ張りが付いていたのですが、
マイクロ USB ケーブルを通す穴の位置と重なるため、どちらも除去してしまいました。
蓋が固定されなくなるのでセロテープで固定しようと思ったのですが、意外にも D-sub コネクターの上部が蓋にうまく引っかかってくれたので、テープは不要になりました。


DSC_2171.JPG

↑こんな感じで使用します。


3. 設定



設定ツールを GitHub から取ってきます。

NORMAL\PCTool\Revive_Micro_CT.exe を実行すると、設定用の画面が現れます。

自分の場合、2つある D-sub コネクターの一方を USB ジョイパッドに、もう一方を USB キーボードに対応付けたので、以下のように設定しました。

reviveusb_keyboard.jpg

ちなみに、キーボード側において 2つのボタンを J, H に対応させた理由は、Steam の Anniversary Collection Arcade Classics においてデフォルトのキー設定のままプレイできるようにしたためです。


4. おわりに


REVIVE USB micro を利用して、MSX 用のジョイスティックを USB ジョイパッド等に変換するアダプターを製作しました。12個のスイッチを接続できるという特徴を生かし、2台のジョイスティックを接続できるようにしてみました。

かつて、micro ではない方の REVIVE USB(キット版)も使用したことがありますが、それと比べるととてもコンパクトになっていることに驚きました。
また、これは従来の REVIVE USB にも当てはまる特徴ですが、配線を変更したりデバイス内のプログラムを修正したりすることなく、設定ツールだけでボタンの対応付けを変更できるのはとても便利だと実感しました。2つの D-sub コネクターの一方を USB ジョイパッドに、もう一方を USB キーボードに割り当てるというアイデアは、完成後に設定ツールを使っている際に思いつきました。

REVIVE USB は、PC(USB ホスト側)からは常にジョイパッド・キーボード・マウスの多機能デバイスとして見えるので、他にも面白い使い方ができそうな予感がします。


nice!(0)  コメント(0) 

ジャッジの無知はディベーターの主張を成立させる (2) [ディベート]

前回の続きです。


ディベートの試合において、よく陥りやすい間違いというものがあります。具体例は後でいろいろ紹介しますが、例えば「逆も成立すると思ってしまう」といった場合がそうです。

ジャッジがそういう事例を知っていると、そういう局面になっても適切に判断できます。しかし、ジャッジがそれを知らないと、ディベーターと同じ判断ミスをしてしまったり、相手チームからの反論が理解できないといったことがありえます。

今回は、そういった例をいくつかに分類して紹介しようと思います。とはいっても、あまり厳密に分類しているわけではないので、それぞれのグループには重複があったりします。あくまでも、今までに見たことがある事例を書き残した程度のものと思ってください。

なお、例によって、AD は adnantage(利益)、DA は disadvantage(不利益)の略です。

逆は必ずしも真ならず


ディベーターが陥りやすい間違いのトップは、これだと思っています。例えば、「X のときは Y が起きる」というカードを読んだだけで、その逆の「Y が起きているときは X である」とか、その裏である「X でないときは Y は起きない」といったことも証明したと誤解してしまう現象です。

ケースでは、内因性(inherency)と解決性(solvency)といった形式で、両者をそれぞれ証明するようになっている場合が多いので、一方の証明が欠けているとすぐに気づくのですが、形式の縛りがない他のイシューでは、気がつきにくいところでこの間違いをしていることがあります。

例えば DA において、こんな例があります。原発廃止の論題のとき(この例は2000年)に、「原発を廃止すると、京都議定書で定められた二酸化炭素の削減目標を達成できなくなる」という DA がありました。そこで読んでいたカードは、確か「二酸化炭素の削減目標を達成するためには、原子力発電所の増設が必要である」といった内容でした。

このカードでは DA の証明にはなっていないのですが、それが分かるでしょうか?

2000年当時(そして今も)、二酸化炭素の削減目標は達成できていないので、原発を廃止したら達成がいっそう困難になるのはほぼ明らかです。だから、プランの有無で差を出すために否定側が証明しなければならないのは、「原発を増設することで、二酸化炭素の削減目標が達成できる」という点です。たとえるなら、「原発を増設する」というプランの解決性の部分です。

一方、前述の「目標達成のためには、原発の増設が必要である」というカードは、「必要である」の部分が必要条件を表わしているとすると、「原発を増設なければ、目標は達成できない」という内容と同じです。(「不可欠である」や「しなければならない」といった表現も、「必要である」と同じです。) つまり、その逆(正しくは裏)である「原発を増設すると、目標が達成できる」については、何も述べていないのです。先ほどのプランのたとえで言うと、内因性はあっても解決性は示せていない状態です。

こういう現象は、プランを採った方が採らないときよりも現状維持に近くなるような論題でよく発生します。具体的には、核燃料再処理の放棄(2008年後期)やダム建設中止(1994年後期)などです。2011年後期の原発廃止の論題も、もちろんその例です。こういう論題での DA というのは、「プランがなければ将来はいいことがあったのに、プランはそれを台無しに……」みたいな感じになることが多いのですが、それは「プランが悪いことを引き起こす」という、よくある DA とは証明の仕方が異なってきます。ディベーターがその点を理解していないと、前述のような間違いをしてしまうことがあります。

ジャッジがそういったことを知っていれば、このような状況になってときに「証明になっていない」ということに気づけますし、また、相手チームからそういう指摘があったときに、それが反論としてどういう意味を持っているかが分かります。

十把ひとからげ


『十把一絡げ』からの脱却を」で書いたことと被りますが、今回の道州制の論題でも良く出てきそうなので、ここで改めて書きます。

今回の論題では、道や州が独自の財源を確保できるかとか、あるいはもっと漠然と、各道州が「発展する」か否かが議論されると予想されます。しかし、道州の全部が全部「発展する」のも「失敗する」のも、地域ごとの実情を無視した「十把ひとからげ」な主張に見えます。

つまり、ジャッジとしては、このように肯定側と否定側とで意見が対立したときには、「どちらか一方のみが正しい」と考えるのではなく、「地域によってどちらもあり得る」と考えるべきだというのが、ここでの私の主張です。

なお余談ですが、「地域によってどちらもあり得る」という考えに立った場合、否定側の「失敗する」という主張がどんな働きをしているかで、否定側の勝ちやすさが変わります。「失敗する」という主張を PMA(あるいは解決性への反論)として出している場合、それ単独で否定側が勝つには「全部の道州で失敗する」ということを示す必要があります。一方で、その主張を DA として出した場合は、「失敗する」道州から発生する DA と「成功する」道州から発生する AD を上回ればよいので、「全部の道州で失敗する」と示すよりかは楽になります。

プランの実現可能性


「実現可能性」とは practicality の訳語であり、この用語自体の説明については「“Practicality”と“Workability”――その1」を参照してください。おそらく今回の論題でも出てくる議論だと予想されるので、ここで改めて書きます。

この「プランの実現可能性」という概念は、ディベートのコミュニティーによって扱いが大きく異なります。あるコミュニティーでは、ディベーターにもジャッジにもこの概念がほとんど知られていません。別のコミュニティーでは、ケース内に実現可能性の証明がなかったら相手チームに鋭く指摘されます。JDA 大会は、ディベーターもジャッジも様々なコミュニティーから参加しているのが特徴なので、試合中に「プランの実現可能性」が議論される場合があり得ます。

JDA 大会で実現可能性が議論になった例(ただしカウンタープランの実現可能性)を挙げると、2010年秋大会の決勝があります。この試合では否定側が確か「海外での代理出産を禁止する」というカウンタープランを出したのですが、それに対して肯定側が「そのカウンタープランの中身が実現する証明がない」という指摘をしていました。肯定側は「プランによって日本でも代理出産が行なわれるようになる」という証明をしてあったので、この指摘はカウンタープランに対してのみ当てはまるものでした。

今回の論題であれば、「道州制は本当に実現できるか」、もっと具体的には、「道や州という行政単位ができて、道や州ごとに首都(に相当するもの)ができて、議会や政府(に相当するもの)ができて……」といったことが本当に実現するのかという点について、肯定側が何も証明していなかったら、否定側がその点を指摘してくるといった場合があり得ると予想します。

言い換えると、ジャッジはそういう場合に備えて、実現可能性について何らかの見解を持っておく必要があると思います。以下の3点くらいは、あらかじめ見解を持っておいた方が、試合中にそういう場面になっても慌てなくて済むと考えています。

  1. 肯定側が自分のプランの実現可能性をまったく証明していなかった場合に、どう扱うか。
  2. 否定側がその点を指摘した場合に、どう扱うか。
  3. 同様に、カウンタープランの実現可能性についてはどう考えるか。


事実と認識とのギャップ


「事実はどうか」という話と「人々はそれをどのように認識しているか」という話とは、本来は独立であって両立するものです。しかし、ディベートの試合では両者を混同している場合が良くあります。厳密にいうと、「事実はどうか」よりも、「将来の状況はどうか」という話と認識の話との混同なのですが、問題の根っこは同じです。

例えば、インフレターゲットの論題(2006年後期)に、以下のような議論が出ていました。

肯定側

インフレターゲットを採用すると、人々は将来インフレになると期待する。

否定側

インフレにはならない。


肯定側は人々の「認識」の話をしているのに対し、否定側は「将来の状況」の話をしています。この2つは両立する(現実と異なる認識を持つ、つまり「誤解する」ということ)ので、否定側の主張は直接の反論にはなっていません。仮に、「人々はやがて、現実とギャップに気づいて認識を改める」みたいな話も出せば、反論として機能したでしょうが、その試合ではそんな話は出てきませんでした。

似たような例を挙げます。私が公式の試合で初めてジャッジしたとき、そのときのケースは「製造物責任(PL)法を制定する」というもので、それに対して否定側は以下のような DA を、さらに肯定側は以下のような「反論」をしていました。

否定側の DA の先頭

投資家は、PL法によって訴訟が増えると考えており、訴訟に対処した行動をとるようになる。

肯定側の反論

訴訟は増えない。


これも、「認識」の話に対して「将来の状況」で反論したつもりになっている例です。しかし否定側は、それに対して「訴訟が増える」という再反論をしてしまい、結局「訴訟は増えるか否か」という議論が最後まで続きました。この DA の最初のリンクは、投資家が「訴訟が増える」と思いさえすれば繋がるのであり、実際に訴訟が増えるかどうかは無関係のはずなのですが……。

この試合は英語ディベートだったため、当初私は「こういう混同が起こるのは、外国語のディベートだと細かなところまで頭が回らなくなるからなのだろう」と思っていたのですが、日本語ディベートでも同じような現象を何度も目にしました。つまりこの現象も、言語に関わらずディベーターが陥りやすい間違いの一つなのでしょう。


インパクトと解決性とが不整合


これは、論理的には「逆は必ずしも真ならず」の一種なのですが、頻度が高いので別途説明します。

前回の「飢饉と生産性」で書いたことを、ケースの構成の面から考察してみます。ケースは、「ある国に農業技術の指導をする」というものだとします。

内因性

a) ある国の農業技術は未熟なため、生産性が低い。(証明あり)

b) そのため、飢饉が発生している。(証明あり)

重要性

飢饉は重大な問題だ。

解決性

a) プランによって農業技術が向上すると生産性が上がる。(証明あり)


上記のような構成では、内因性(inherency)と解決性(solvency)とが対応していません。非常に厳しいジャッジなら、「重要性として挙げているのは飢饉だけなのに、解決性では飢饉が解決することを示していない。だから、AD は全く証明されていない」と判断する可能性だってあります。

だから、肯定側がその点を分かっている場合は、以下のように、とにかく形式上は解決性を内因性に対応させようとします。

解決性

a) プランによって農業技術が向上すると生産性が上がる。(証明あり)

b) (追加)生産性が上がると飢饉も解決する。(口頭のみ)



ところがこうすることで、皮肉な現象が発生することがあります。人間というのは、存在していないものについて「存在していない」とはなかなか気づかないものなのです。つまり、解決性を a で留めているときは AD の証明が不足していることに気づかないのに、b を口頭で述べたらかえって証明不足に気づいてしまうという現象です。

しかし、ジャッジの態度としては、解決性の b がないと証明不足に気づかずに判定が甘くなるというのは、一貫性が欠けているように思います。そうなるのを防ぐためにも、ジャッジはケースにおいて、1) 内因性と解決性とが対応しているか、2) 特に重要性として挙げた項目は解決しているか、といった点をチェックするようにすることをお勧めします。

ここで、ちょっとしたノウハウを書いておきます。先ほどの飢饉の例では、「生産性が低い」こと自体を重要性(インパクト)にできれば、解決性ときちんと対応します。「それでは大きな AD にならないのでは?」と思うかもしれませんが、ここが重要なノウハウで、先ほどは内因性の b で使っていたカードを重要性の証明として使います。
つまり、ケースを以下のような構成にします。

内因性

ある国の農業技術は未熟なため、生産性が低い。(証明あり)

重要性

生産性が低いことは、重大な問題だ。なぜなら、それが飢饉の原因となるからである。(証明あり)

解決性

プランによって農業技術が向上すると生産性が上がる。(証明あり)


これなら、「生産性が低い/上がる」という点について内因性と解決性とが対応しますし、AD を大きく見せることもできています。

もっと一般化して書くと、プランがないときに「A が起こり、B が起こり、C が起こる。C は重大」みたいな何段にもなったシナリオがあるのに、解決性として「プランがあると A を防ぐ」といったものしか見つからない場合は、A 自体をインパクトとし、B 以降は A の重要さを示すカードとして使えばよいということです。


同じ用語でも中身は別


肯定側と否定側とで同じ用語を使っているため、一見すると議論が噛み合っている。しかし、その用語の意味をよく吟味すると、両者で異なる意味で使っており、実は噛み合っていない――みたいな現象もたびたび発生します。そんな例をいくつか紹介します。

一つは、かつて英語ディベートのとある試合で見かけた“education”(教育)という用語です。そのときのケースは確か「未成年が薬物を乱用するのを防ぐために、“education”を行なう」といったもので、AD の一つとして「“education”の効果により、注射針の回し射ちがなくなり、HIV に感染することがなくなる」というものがありました。これに対して否定側は、“education”と HIV というキーワードから「性教育をする」というプランだと思ったらしく、「“education”をすると、かえって HIV の感染者が増える」(いわゆる「寝た子を起こす」論)という「反論」をしていました。しかし、どちらのチームも“education”としか表現しなかったため、議論が噛み合っていないことにお互い気がつかず、反論の応酬が最後まで続きました。

次の例は、ダム建設中止(1994年後期)で見かけた「地震」に関する議論です。当時のケースで、「ダムを建設すると、その周囲で地震が発生する」という主張は、比較的よく出ていました。それに対して、「小さな地震が何度も発生すると、地下のエネルギーが解放され、大きな地震の発生を防ぐ」というターンアラウンド(T/A)が出ていました。この例も、一見すると、「地震」というキーワードについて議論が噛み合っているように見えます。

しかし、それぞれの「地震」の発生要因について考えると、同じ「地震」でも別物であることが分かります。ダムによって発生する地震というのは、地層の浅いところで発生するものなのですが、否定側の言う地震は、大陸プレート同士が重なり合うところで発生するようなずっと深いところのものです。(正直言うと、この辺は記憶も知識もあやふやです。) つまり、発生する要因が異なるので、新たなダムを建設したことで地震が起きても、大陸プレートの深いところで発生する地震が防げるわけではありません。

このように、用語が同じでも中身が別ということに気づくと、実は反論が成立していないことに気づく場合もあります。

なお、上の二つの例がそうだというわけではないのですが、用語が同じなのに中身が別という局面に会ったときにジャッジとして気に留めておいた方が良いと思うことがあります。それは、反論する側が使用したカードの引用範囲は適切かという点です。もしかしたら、試合中に引用した範囲の外を読むと、その用語が別物ものを指しているのが分かるかも知れません。つまり、あえてそこを省略することで、あたかも反論が成立しているかのように見せかけている可能性もあるということです。

役割の逆転


ディベートの試合を何度も見ていると、肯定側・否定側それぞれに「こうするものだ」という形式というか固定観念がどうしても出来上がってしまいます。しかし、場合によってはその逆をしなければならないときもあります。そんな例をいくつか紹介します。

一つ目は、ダム建設中止の論題(1994年後期)であった例です。(「またこの論題か」と思うかもしれませんが、実際いろいろ興味深い論題だったのです。) とあるモデルでは、DA において以下のような議論が行なわれていました。

否定側の DA

ダム建設を中止すると、水不足が起きる。

肯定側の反論

水不足は今でも起きている。

否定側の再反論

今の水不足は深刻ではない。


形だけに注目すると、肯定側は「DA の原因はプランに固有ではない」(いわゆる“not unique”)という反論であり、否定側はさらにそれに反論しています。しかし、よく考えると、肯定側の「反論」がかえって DA のシナリオを補強しています。それが分かるでしょうか?

プランは「今後はダムを建設しない」というものであり既存のダムは今後も残るので、そんなプランに当てはまるようにするために、この DA は以下のような構図を持っています。

現在の状況

ある地域では、ダムがないために水不足が発生している。

プランがあると(=ダムの建設を中止すると)

ダムがない状態が続き、水不足が続く。

プランがないと(=ダムが建設されると)

ダムが建設され、水不足が解決する。


つまり、肯定側が反論のつもりで出した「水不足は今でも起きている」という主張は、実は DA の「現在の状況」の部分と全く同じ、つまり DA のシナリオの一部なのです。だから、否定側は肯定側の「反論」を「その通り」と受け入れればそれでよく、「反論」に「再反論」すると、かえって DA のシナリオを否定してしまいます。

こういう状況になったときに、ジャッジは形式ではなく内容を見て、「逆転」に気づく必要があると思っています。

「ダム建設中止」の論題は、「逆転」が発生しているのにディベータが気づいていないという例でした。それに対し、ディベーターの方から意図的に「逆転」を仕掛けてくる場合もあります。以下はそんな例(と私が分類している例)です。

  • AD も DA もゼロのときには、否定側ではなく肯定側の勝ちとすべきだ。(「現在の政策を中止すべきである」という論題の場合は、比較的主張しやすい。)
  • 「代理出産を認める」というプランを採ることで、代理出産の件数自体は変わらない。(と主張することで、代理出産そのものに由来する DA を無効化する。)
  • 「出生前診断と認める」というプランを採ることで、野放図に行なわれるのをかえって抑制する。(と主張することで、出生前診断そのものに由来する DA を無効化どころか AD に変えてしまう。)
  • 「外国人労働者の雇用を認める」というプランを採っても、日本にやってくる外国人労働者の数は変わらない。(と主張することで、外国人労働者の人数が増えることに由来する DA を無効化する。)

ここに挙げた例の中には、「逆転」というよりは、単に論点をずらしているだけのものもありますが、いずれにしても狙いは相手チームの混乱を誘って勝ちやすくすることなので、発想自体は共通だと思います。こういう状況になっても、ジャッジ自身は混乱せずに適切に判定してくれることを、(少なくとも「逆転」を仕掛けた側からは)期待されています。

こういう議論がありうるということをジャッジが知っていれば、ディベーターがこういう「逆転」を仕掛けてきても、慌てずに「お、仕掛けてきたな。では相手チームはどう対処するかお手並み拝見」と冷静に対処することができます。

おわりに


ディベートの試合で陥りやすい間違はいろいろありますが、きりがないので一旦ここまでとします。

「十把ひとからげ」や「事実と認識とのギャップ」などは、おそらく毎試合出てくると予想していますが、ここで書いたことが役に立つことを期待して、今回の文章を終わりにします。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ジャッジの無知はディベーターの主張を成立させる (1) [ディベート]

JDA 秋大会が近いので、久々のディベートねたです。今回のタイトルは角が立ちそうですが、そのわけは後で述べます。


最初に、ちょっとした問いかけです。

何らかのトピック(例えば原発廃止)についてディベートしているとします。ジャッジがディベーターの主張を受け入れやすいのは、ジャッジがそのトピックについて詳しい知識を持っている場合と持っていない場合のどちらだと考えられるでしょうか?

「苦労してイシュー(ケースや DA など)を作ったのに、ジャッジがその分野に詳しくなかったばっかりに採用してくれなかった」という経験を持つ人は、「詳しい知識を持っていない場合」の方だと答えるかもしれません。

でも、ディベートに長年関わってきた感触からすると、むしろ逆に、ジャッジが知識不足である場合の方が、ディベーターの主張を受け入れてしまいやすいと感じています(統計を取ったわけではありませんが)。それは、以下のような理由に拠ります。


  1. ジャッジに知識が不足していると、ディベーターの主張に不備があってもそれを見抜けない。
  2. さらに、相手チームが主張の不備を指摘しても、それが強い反論であることに気づかない。

別の言葉で言えば、「知識がないと、騙されやすい」とも言えます。

以下では、具体例をいくつか紹介します。今回は、特定のトピックの下で起こりやすい現象に的を絞ります。いずれも、「特定のトピックの下で」と言いながらも頻度が比較的高いものです。

(例によって、AD は advantage (利益)の略、DA は disadvantage (不利益)の略を表わします。)

放射能と放射線


『十把一絡げ』続き」でも書いたのですが、放射能と放射線とはよく混同されます。そういう状態の人がディベートのイシューを作ると、両者の違いを知っている人がから見たら繋がっていないシナリオになってしまうことがあります。例えば、「配管が破損すると放射能(放射性物質)が外界に漏れる」という主張の次が「放射線に被曝すると、健康に害がある」という主張だったりという感じです。

ジャッジが両者の違いを理解していれば、このようなシナリオを見ても途中が繋がっていない、つまり「放射能漏れ」から「放射線被曝」までのリンクを証明していないことが分かります。また、相手チームが「放射能漏れ」と「放射線被爆」との間のリンクがないことを指摘すれば、それが本質的な反論であることも分かります。

しかし、ジャッジ自身も両者を混同していると、あたかもシナリオが繋がっているかのように思ってしまうかもしれません。それどころか、相手チームが前述のような指摘をしても、大したことない反論だと思ってしまうかもしれません。結果として、このようなシナリオをジャッジが受け入れてしまうこともあり得ます。(これが今回の題名の意図です。)

対策は何かというと、身も蓋もない話ですが、「原子力について詳しくなりましょう」に尽きます。ディベートの中に限らず、今のご時勢では風評被害に惑わされないためにも知識が必要ですし、それゆえに分かりやすい解説書が出回っています。

それにディベートの中でも、原子力の話は意外と多くの論題で出てくる可能性があります。原発の廃止や核燃料サイクルの放棄といった論題ではもちろんのこと、他にも例えば軍事関係の論題では、核兵器や原子力潜水艦に関連して出てきます。さらに過去の例を挙げると、ダム建設中止の論題のときに、水力発電ができなくなって不足する電気を原子力発電で補うといった DA が出ていました。(火力発電ではなくて原子力発電を使用する理由が「火力発電は出力の調整が容易ではないから」という自己矛盾を起こしている DA でしたが。)

感染と発症


医療に関する論題というのは比較的頻度が高いのですが、そのときによく見かける混同がこれです。

ウィルスや細菌に感染するという現象と、症状が現れる(発症)という現象とは別で、発症せずにウィルスや細菌が消えてしまう場合もありますし、長い潜伏期間の後で発症する病気もあります。

ところが、この辺りの知識がないと、感染と発症とを混同したシナリオを作ってしまうことがあります。例えば、以下の2つの主張があったとします。

  • ~すると、(病名)になることがある。
  • (病名)になると、死ぬ場合がある。

一見すると繋がっているようですが、よく見てみると、同じ「(病名)になる」でも、前者は感染、後者は発症のことだったりして、感染から発症へのリンクを示していないことがよくあります。

また、薬の中には発症を防ぐものがあります。そういった薬が存在するという主張が前述のシナリオに対してどういう働きをするか判断するためにも、ジャッジは感染と発症とを区別している必要があります。以下のような例を見てみましょう。

否定側の DA

前述の、感染と発症とを混同したシナリオ

肯定側の反論

(薬品名)という薬により、発症を抑えられる。

否定側の再反論

(薬品名)は、ウィルスを殺せないので、病気を完治しているわけではない。


形式だけ見ると、肯定側の反論が否定側に再反論されたため、最初のシナリオが残ったように見えなくもありません。しかし、主張の中身まで見ると、別の判断ができます。

  • 最初のシナリオでは、感染から発症へのリンクを証明していない。
  • 肯定側の反論は、感染から発症へのリンクを否定する働きがある。
  • 否定側の再反論は、この薬に発症を抑える働きがあることは認めている。

こんな感じで、このシナリオにおいて発症以降は否定されたままであると判断できます。つまり、もしこのシナリオで否定側がインパクト(深刻性)として主張したのが「死ぬこと」だけなのであれば、この議論は勝敗には影響しなくなります。

なお上で「ウィルスや細菌」と書きましたが、この二つも知らないと混同されやすいものです。うっかり「インフルエンザの菌」とか言ってしまったりしますからね。うまく違いを説明できないようであれば、調べてみましょう。

飢饉と生産性


今度は、対外援助といったプランが出せる論題において比較的よく出てくる話です。

「ある国では、凶作のために飢饉が発生している。そこで、プランで農業技術の援助を行う」みたいなケースは比較的見かけます。しかし、その解決性の部分が「技術援助によって、農作物の収穫が増える」(またはもっと漠然と「農業の生産性が向上する」)程度しか示していないことがあります。

凶作から飢饉というのはイメージしやすいので、あまり詳しくないと、何となくその逆である「収穫が増えれば飢饉が解決する」も成立すると思ってしまうかもしれません。しかし、飢饉の原因について知れば知るほど、その原因は複合的であることが分かります。例えば、物流が整備されていないと、たとえ生産地では豊作になっても、それを他の地域に届けることができず、他の地域では飢饉が続くこともありえます。また、治安が悪いと、運んでいる途中で強奪されてしまう(または、強奪が怖くて運べない)ということも起こりえます。

こうしたことから、「技術援助によって農作物の収穫が増える」というカードを読むだけでは、飢饉の解決の証明にはなっていないとジャッジは判断すべきだと思っています。

今回は、「その分野の知識がないと、証明不足でもそれに気づかない」という観点から書きましたが、イシューの構成という観点では、「内因性や重要性と解決性とが対応していない」現象として捉えることもできます。その点については、次回に説明する予定です。

他にも


「ジャッジが特定のトピックについて知っているばかりにアラが見えてしまう」という現象、またはその逆に「ジャッジが詳しくないばかりに、重要な反論を無視してしまう」という現象は、上記の3つに限らず、本当にいろいろ発生します。以下は、そんな例を手短に紹介します。

試合で引用された資料について、引用された部分の前後も含めてジャッジが詳しく読んであったりすると、「その文献はそんな強い主張はしていない」といったことが分かってしまいます。例えば死刑廃止の論題(2007年のJDA後期論題)のとき、1990年代前半の新聞記事(正しくは座談会)を引用していたチームがあったのですが、自分はたまたまその記事をかつてよく読んでいたため、そんなことを思いました。

他の例に行きます。雇用形態や勤務形態などは現実にはさまざまなバリエーションがあるのですが、ディベートの試合では単純化されて議論されるときもあります。ワークシェアリング(2009年前期)や育児休業(2004年後期)の論題のときに、それを強く感じました。

他の例を挙げると、世の中の状況が変わったにもかかわらず、その変化を知らずに(または無視して)ディベートが行なわれていた例もあります。20年位前の英語ディベートの例になりますが、当時は冷戦構造がなくなりつつあったのに、それを前提にした主張が残っていたりました。例えば、「通常兵器を使った地域的な戦争は全面核戦争へとエスカレートする」とか「核戦争のリスクはたとえどんな犠牲を払ってでも回避すべきだ」みたいなカードは、基本的に東西の緊張が非常に高まっていた頃を想定したものだったのですが、90年代になってもそんなことはお構いなしに使われていました。後者のカードについては、私は対抗のために「冷戦は終わり、全面核戦争の恐怖は去った」みたいなカードを読んでから「状況が変わったのだから、そのイシュー(主に DA)を absolute voter 扱いにするのは止めましょう」みたいなアピールをジャッジに対してしたこともあるのですが、あまり聞き入れてもらえなかった苦い思い出もあります。(そんな状況が一変したのは、1993年に論題が狭くなってからだと記憶しています。)

やはり20年位前の例として、行政指導というカウンタープランの扱いがあります。当時の行政指導の特徴の一つは、「法律上に明確な根拠があるわけではない(が、指導された方は従ってしまう)」という点だったと理解しているのですが、1993年に行政指導を規定する法律ができたことで、前提が一変しました。しかしディベートの試合では、そんな法律などなかったのごとく、法律制定前と同じ議論が出ていました。(確か 90年代後半に、あるモデルにそんな行政指導のカウンタープランが含まれていまして、それに対して「状況が変わっているよ」みたいなコメントをした記憶があります。)

冷戦にしても行政指導にしても、共通しているのは、「論題の中心のトピックからは外れていたために、最新の状況をリサーチする人があまりいなかった」という点だと思います。

ここで話を現在に戻します。現時点で似たような例になりそうだと予想しているのが、炭素税(環境税)に関する議論です。今年の10月に、「環境税」が導入されました(参考)が、知らない人も多いのではないでしょうか? 私もあまりリサーチしていないのですが、一つ確実にいえることは、かつて炭素税の論題が出ていたとき(JDAなら2010年前期)とは状況が変わってしまい、当時の議論そのままは今では通用しない可能性が高いということです。

だから例えば、今回の道州制の論題において、「それぞれの道や州が炭素税を導入する」という議論(AD なのか DA なのか分かりませんが)を思いついたとして、その際に2年前の議論をそのまま流用すると、現在の状況と合っていないものになってしまいます。

終わりに


いろいろ偉そうなことを書いてしまいましたが、過去の自分のジャッジングを振り返ると、知識不足によってあやふやな判定をしてしまったと後悔することが皆無ではありません。そんな反省も込めて、今回のブログは書いています。

次回は、やはりジャッジに知識が要求される例について、別の観点から紹介します。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ディベートタイマーをアップデートしました [ディベート]

screen_shot.png




ディベートタイマーを更新しました。詳しくは、こちらを参照してください。

今回のバージョンは、スマートフォンやタブレットなどの携帯端末で使用することを目標に改造しました。(以前のバージョンは、PSP のブラウザ上で動かすのを目標にしたものの、結局は PC のブラウザ以外では使いづらいものになっていました。)

以下では、スマートフォン(イーモバイルの S51SE)とタブレット(Sony Tablet P)とで表示させた様子をお見せします。

timer_s51se.jpg
これは、イーモバイルの S51SE の標準ブラウザで表示させたところです。横長に持つと、画面にぴったりの大きさで表示されます。ただ、この大きさでは、ボタンが押しづらい……ちっちゃくないよ!

timer_sonytablet_p.jpg
こちらは、Sony Tablet P にて Chrome を用いて表示させたところです。2倍くらいに拡大すると、このように上画面に大きな数字が、下画面にコントロール用のボタンが配置されます。まるで、Sony Tablet P の2画面に対応した数少ないアプリの一つに見えなくもなくもなくはなくない。

なお、Android の Chrome でこのディベートタイマーの音を鳴らすためには、ページを開いた直後にオーディオのコントロール(「全初期化」ボタンの下にあるパーツ。上の写真では、画面の外に隠れている)をクリックする必要があるみたいです。(audio.js を用いて、audio タグについてブラウザ間で挙動が異なる問題に対処したつもりなのですが……。)

使ってみたという方は、感想などを教えていただけると幸いです。



nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

Windows7 で PS Eye の 4チャンネル録音 [PC]

「PS Eye で多チャンネル録音をしよう」紹介した方法を Windows7 で行なっても、2チャンネルまでしか録音できません。


その原因は、DirectSound にあるようです。Vista 以降は DorectSound はエミュレーションで実現されていますが、Windows7 は Vista よりもチャンネル数の制限が厳しくなったようです。

では、Windows7 上で PS Eye の4つのマイク全てを使って録音する方法はないのかというと、いくつかあります。


(以下の方法は、Windows8 Cunsumer Preview (CP) でも動作を確認しています。スクリーンショットは、Windows8 CP をインストールしたネットブック上のを撮っています。)


一つは、DirectSound の代わりに WASAPI に対応した多チャンネル録音ソフトを使う方法。意外な(?)ところでは、Kinect SDK 1.0 に含まれている AudioCaptureRaw というプログラムは、PS Eye の4チャンネルを使った録音にも修正なしで使用できました。以下、動作しているところの写真を載せます。

pseye_and_win8cp.jpg

sc_cap_audiocaptureraw.jpg
画面の拡大。入力用のオーディオデバイスとして 0~2 の3個が検出されていますが、このときは 1 番が PS Eye のマイクに対応していました。

audacity_4ch.jpg
生成された wav ファイルを audacity で開いてみたところ。ちゃんと 4チャンネル分の音が保存されていることが確認できます。なお、Windows7 上で audacity を使って直接録音しようとしても、今のところ 2チャンネルまでしか録音できません。


ただ、最近リリースされた SDK 1.5 では、AudioCaptureRaw は Kinect 専用となり、PS Eye で使うことはできなくなってしまいました。(ソースを一部修正すれば、できそうな感じですが。)


次回は、別の録音方法として、REAPER を使った方法を紹介する未定です。



S51SE を So-net の bitWarp (EM) コースで使用する [モバイル]

So-net の bitWarp (EM) コースにてレンタルされる E-Mobile の SIM カードを、Sony Ericsson mini こと S51SE で使用するための手順です。
S51SEを EM のデータ通信用の SIM で使用しているという報告は見かけるのですが、bitWarp (EM) コースで使用しているという報告は見つからなかったので、メモとして書き残しておきます。

参考:

APN変更方法
http://faq.emobile.jp/faq/view/104408
bitWarp(EM) の設定方法:Pocket WiFi (D25HW) のインターネット接続設定
http://www.so-net.ne.jp/support/manual/internet/set/bitwarp_em/d25hw/t0001.html

手順:

  1. SIMカードを入れてから電源を入れる。
  2. 「設定」 → 「無線とネットワーク」 → 「モバイルネットワーク」 → 「アクセスポイント名」の順に選択。
  3. APN(アクセスポイント)を選択する画面でメニューキー(本体右下のボタン)を押す。
  4. 「新しい APN」を選択する。
  5. 以下のように設定する。(これ以外の項目は、初期値のままで良い)
    名前任意(例えば So-net)
    APNso-net.ne.jp
    ユーザー名所定のもの(“XXX@YYY.so-net.ne.jp”の中の XXX@YYY の部分)
    パスワード所定のもの
    認証タイプCHAP
いくつか補足します。上記の 2 で表示されるアクセスポイントは、最初は EM のものだけなので、So-net のアクセスポイントは自分で追加する必要があります。そこで、メニューキーを押して出てくる「新しい APN」を選ぶことで、アクセスポイントの追加を行なっています。
また、Pocket WiFi (D25HW) のインターネット接続設定では、ユーザー名としてメールアドレスと同じもの(つまり“XXX@YYY.so-net.ne.jp”全部)を入力するように書いてありますが、S51SE でのアクセスポイントの設定では、そのように入力したら接続に失敗してしまいました。代わりに XXX@YYY のみを入力したら、接続できました。

注意事項:

  1. bitWarp (EM) コースの SIM はデータ通信専用なので、音声通話はできません。
  2. 電波状況にかかわらず、圏外を表わす赤いバツ印(下図の青枠)と、「通信サービスなし」を表わす黄色いインジケーター(赤枠)が画面上部に常に表示されます。必要に応じて、電波状況を表示するアプリ(3Gアンテナやネギアンテナなど)をインストールしてください。
indicator.PNG
私はネギアンテナをインストールしていまして(下図の右下)、「今はネギが3本立っている」とかついつい言ってしまいます…….。
negi.PNG


プランがなくても未来は変わる(3) [ディベート]

プランがなくても未来は変わる(2)」の続きです。


前回・前々回は、AD も DA も以下の3点に分けて考えると良いと書きました。


  1. 現在の状況はどうか?
  2. プランがないと未来はどう変わる?(プランなしの未来)
  3. プランがあると未来はどう変わる?(プランありの未来)

今回は、これに関連して補足を書きます。(今回も、AD・DA はそれぞれ advantage(利益)・disadvantage(弊害)の略を表わします。)

DA が苦しくなる理由


前回、プランがない場合について、未来の状況を考察してみました。それを見て、「DA を成立させるのが難しくなる」と感じたのではないでしょうか。そうなる理由を二つほど考えてみました。(後付なので、理由はいろいろつけられるのですが……。)

一つは、論題に依存した点です。もし、DA で出てくるような問題が現時点で何も発生してないことが明らかで、しかも、プランがなければその状態が未来も続くことが明白だとします。その場合、DA では「プランが問題を引き起こす」ということだけを示せば、上記の3点が揃います。こういう DA が作りやすい論題は、確かに存在します。

ところが、原発廃止については、決してそうではありません。DA で出てくるような問題(電力不足や産業空洞化など)が現時点でも発生していますし、状況が今後どう変化するかも流動的です。だから、普段の癖(?)で「プランがなければ問題は発生しない」と思いながら DA を作ってしまうと、実状に合っていないものが出来上がってしまうというわけです。

もう一つは、論題とは独立な点です。よくある DA の構成というと、「リンク&重要性」だったり、さらに最初に「現状分析」を読んだりするものがありますが、いずれも「プランなしの未来」という観点が抜けています。だから、よくある構成に従って DA を作ってしまうと、肯定側から「プランがなくても未来は変わる」的な反論をされたときに、それに対抗する分析が何もないという状態にもなりかねません。

参考までに、ケースの側(つまり AD を証明する側)では、内因性(inherency)や重要性の分析において「プランがないと未来はどう変わる」という話を入れるのはごく普通に行なわれています。例えば今回の論題では、「今後は地震が活発化する」(これ自体はプランの有無とは無関係の未来の話)という話と絡めて、「今後は、もっと大きな事故が発生する可能性がある」という主張が出ていました。このように、AD と DA は、歴史的経緯により、構成方法が非対称になっています。


カウンタープランは出てはいたけれど……


前述の通り、現在の状況が流動的である場合、否定側は DA を成立させるのが難しくなります。そういうときには常套手段があり、それはカウンタープランを出すことで、DA で出てくる問題の発生を防ぐというものです。カウンタープランを出すことで、比較の対象が以下の2つに変わります。

  • 肯定側のプランがあると、未来はどう変わる?
  • カウンタープランがあると、未来はどう変わる?

(カウンタープランの要件の話は、今回の主題ではないので、ここでは省略します。)

今大会では、「新型の原発に置き換える」というカウンタープランを2回ほど見ました(一つは決勝です)。

では、カウンタープランによって、何と何とを比較しているのかが明確になったのかというと……明確になるどころか、かえって疑問が出てきました。

第一に、どの原発を対象としているのかが不明でした。既存の54基を全て置き換えるのでしょうか? それとも、これから建設する予定の原発(14基?)を「新型」で建設するのでしょうか?

既存の54基を置き換えるとしたら、いったん全部を廃炉にし、それから新しい原子炉を作るのだと思うのですが、では一体どの場所に建設するのでしょうか? 既存のを解体して更地にし、同じ場所に建設するのでしょうか?(可能なのか?) それとも、既存の原子炉は運転を停止するだけで建物は残し、新たな原子炉を同じ敷地に建設するのでしょうか?(そんなに都合よく用地があるのか?) または、既存の原発とは別の場所に建設するのでしょうか?(そんな都合よく(以下略))

一方、これから建設する原発を「新型」で建設するというものだとすると、また別の不明点が出てきます。

現在、建設予定の原発は14基あるのですが、これと何が違うのかが不明です。建設をスピードアップする秘策でもあるのか、それとも、もっと安全になるように設計を変更するのか(私のリサーチ不足のため、建設予定の14基が「新型」なのかは分かりませんでした)……。そもそも、このカウンタープランでは「旧式」の原発が残るわけなので、地震が発生したときの事故の危険性は依然として残ります。

さらに、否定側が出している他の議論との整合性も気になりました。例えば、どの試合でも否定側は「大型の火力発電は建設に5~10年くらいかかる」(だから今から建設をしても来年の電力不足には間に合わない)というカードを読んでいたのですが、では原発の建設にはどれくらいの年月を要するのでしょうか?(少なくとも、火力発電所より短いとは思えない……。)

また、発電に要するコストの話も出ていたのですが、いくら原発のコストが安いといっても、一度に何十基も建設したら、それが電力料金に跳ね返ると思うのですが……。

このように、このカウンタープランは、考えれば考えるほどあらが見えてきてしまいます。


もっとも、自分が見た試合では否定側がカウンタープランを最終的には捨てたため、勝敗を決めるにあたって上記の点で悩む場面はありませんでした。



――「プランがなくても未来は変わる」シリーズはこれでいったん終わにします。




プランがなくても未来は変わる(2) [ディベート]

『プランがなくても未来は変わる(1)』の続きです。


前回は、AD も DA も以下の3点に分けて考えると良いと書きました。


  1. 現在の状況はどうか?
  2. プランがないと未来はどう変わる?(プランなしの未来)
  3. プランがあると未来はどう変わる?(プランありの未来)

今回は、各項目について自分なりに調べてみた結果を述べると共に、試合ではどのように扱われていたかについても紹介します。

1. 現在の状況はどうか?


原子力発電所が発電量の3割弱を担っていたのは、もう過去の話です。東日本大地震の後ではどうなっているかというと、「2007年度に26%であった総発電量に占める原子力発電所の比率は、実際に半分以下になっている」(*1) とのことです。

(*1) 『地産地消のエネルギー革命』黒石祐治著, PHP新書, 2011年, p83
(以降「同文献」とはこの本を表わします。)

同文献によれば、地震前は54基(故障含む)の原子力発電所がありましたが、以下のものが現在は運転を停止しているとのこと。

  1. 「震災により破壊、もしくは停止中が16基」
  2. 「浜岡原発の3基が政府の命令によって運転を停止している」
  3. 「定期検査中で再開のめどが立たない原発が、22基もある」

計算してみると、現在運転中の原発は十数基であることが分かります。

上記に加え、10/4 には玄海原発4号機が補修作業のミスで運転を停止しました。そのときのニュースによると、その時点で運転中の原発は10基になったとのこと。その後、11/1 には運転を再開したので、現在(今日は 11/29)運転中は 11基だと思われます。

(このブログを書く際に調べ直すまで自分は勘違いしていたのですが、玄海原発4号機の運転再開は、定期検査後の運転再開とは異なるんですね。)

では、試合ではこれらの分析はどうだったかというと、一試合を除いて上記と同様の分析が出ていました。さらに、上記の3点目については、「やがて運転を再開するだろう」というカードを読んでいました。

残る一試合については、肯定側は上記のような分析を出さず、一方で否定側は「原子力発電所が総発電量に占める割合は約三割」という震災前のカードを読んでいました。


2. プランがないと未来はどう変わる?


経験的に言って、分析が疎かになりがちなのがこの点です。プランがないと現在の状況がそのまま続くと、特に根拠もなしに思っていないでしょうか?
でも、現実には以下のようにさまざまな点で未来は変化し得るのです。

定期検査後の運転再開

現在稼動中の原発も、一定期間稼動すると、運転を停めて定期検査に入ります。もし、検査終了後に運転開始ができない状態が続くと、近い将来に全ての原発の運転が停まってしまいます。

原発の寿命

仮に原発の寿命を40年とすると、「2025年までの15年間で、さらに16基が運用年数で40年を超える」(同文献 p25)とのこと。もし新規建設をしないなら、やがて全ての原発が寿命に達することになります。一方、40年を超えても継続的に使用するとなると、安全面に必要なコストが増えると予想されます。

新規建設

同文献によると、計画中の原発は14基あるとのこと(p66)。しかし、東日本大地震の後は、建設が困難になったと考えられます。
さらに、寿命の話とあわせて考えると、仮に全部が完成しても、追加の計画がない限り、稼動する原発の総数はほぼ一定であることが分かります。

使用済み燃料の処分

核燃料の再処理の論題(2008年秋)のときにリサーチしたことがある人ならご存知だと思いますが、現在、使用済み核燃料を保管する場所が不足しています。そのため、これ以上の使用済み燃料を発生させないために原発の運転を停めざるを得ない状況もあり得ます。


これらのことは、今回の論題の下ではどんな AD や DA であっても考えておかなければならないことです(試合に出すかどうかは別として)。

さらに、AD や DA によっては、プランがない場合の未来についてもっと詳細に分析する必要があります。たとえば、「電気料金の上昇→産業の空洞化」という DA を作るなら、円高が今後どうなるかといった、空洞化に関する他の要因も調べる必要があります。また、「電力不足」という DA を出すのなら、プランがないときに電力の供給が足りるのか(簡単に言えば、来年以降も計画停電や節電要求などが行なわれるのか)についての分析が不可欠です。

では試合中に、プランがない場合の未来の状況がどのくらい出てきたかといいますと、「定期検査で運転を停止した原発は、やがて運転を再開するだろう」的な分析がケースの中であったことを除き、ほとんど見かけませんでした。そのため、「電力不足」とか「産業の空洞化」といった DA を出していても、一体何と比較しているのか分からなくなることがありました。

なお、一部の否定側は、「今後も原発を運転する/作り続ける」的なカウンタープランを出していました。でも、それで何と何とを比較しているかが明確になったのかというと、そうでもなくて……詳しくは次回に書きます。


3. プランがあると未来はどう変わる?


ケースの解決性(solvency)にしても、DA のシナリオにしても、プランがある場合の未来について述べているはずです。しかし、「プランがあると未来はどう変わる?」という点は試合中に十分に説明されていたかというと、必ずしもそうではありませんでした。ケースと DA それぞれについて、説明不足に感じられた点を挙げます。

ケースについては、プランを実行した後で既存の原発の施設がどうなるのかが不明瞭でした。解体して更地にするのでしょうか? それとも、運転だけ停止して施設はそのまま残すのでしょうか? 前者なら「安全に解体できる」という証明が必要ですし、後者なら「運転を停止していれば、地震がおきても危険は少ない」みたいな証明が必要です。しかし、どちらの証明もなく、単に「プランによって原因がなくなる」の一言で済ませている例がありました。

一方、DA については、長~い目で見たときの変化という視点があまり出てきませんでした。例えば「電力不足」という DA では、電力が不足するかどうかは需要と供給との関係で決まります。プランによって供給が減ることが証明できたとしても、需要についてはどうでしょうか? 将来、人口が減っていくと、電力の需要は減る方向に作用するでしょう。一方で、何が電気を大量に使うモノが普及すれば、需要は増えるでしょう(同文献では、そのような例として電気自動車が挙がっています)。

また、「産業の空洞化」という DA では、日本の製造業が海外(例えば中国)で生産するようになる理由として、電気料金の差の他にも、人件費の差なども考えられます。今は、日本よりも中国の方が人件費が安いわけですが、その差が将来もずっと保たれると考えるのと、将来は差が縮まると考えるのと、どちらがあり得そうでしょうか? GDP の伸びなどを考えると、後者の方があり得そうです。つまり人件費だけを考えるなら、未来になればなるほど、日本を脱出して中国で生産する「うまみ」が小さくなっていきます。

人件費の話が出たついでに書くと、「日本では全国一律に人件費が高い」と思ってしまうのは、これまた「十把一絡げ」な発想です。日本国内にも人件費が比較的安い地域があることを知っていれば、「コスト削減→国外に脱出」以外のシナリオも思いつくでしょう。

「十把一絡げ」といえば、原発を廃止したときの影響は、全部の電力会社に対して同じということは決してなく、原発の依存度が高い電力会社と低い電力会社とでは、当然ながら違ってくるでしょう。(今の電力会社は地域独占なので、原発廃止の影響が地域によって異なるとも言えます。)

――このように考えると、AD や DA のシナリオを考えるにしても、その反論を考えるにしても、いろいろバリエーションがあり得ることに気がつくのではないでしょうか?

(次回に続きます。)






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

プランがなくても未来は変わる(1) [ディベート]

引き続き、JDA 秋大会で気になった点について書いていきます。 (例によって、AD は advantage(利益)、DA は disadvantage(弊害)の略です。)
試合では、ケースや DA が出てくるわけですが、一体何と比較して良い/悪いと言いたいのか良く分からないものがありました。特に、DA においてそれが散見されました。
そこで、ディベートの基礎をおさらいしてから、どこが問題でどう改善すればよかったかについて考えてみます。

基本のおさらい

AD にしても DA にしても、基本は以下の2つの比較です。
  • プランがないと未来はどう変わる?(プランなしの未来)
  • プランがあると未来はどう変わる?(プランありの未来)
要注意なのは「プランがないと未来はどう変わる?」の方で、以下の2点についてはよく勘違いが発生します。
  1. 現在と未来との比較ではなくて、未来同士の比較である。
  2. プランがないからといって、現在の状況が未来も続くとは限らない。
この2点を、私はそれぞれ「未来 vs 未来」「現在≠未来」と呼んでいます。そして AD や DA を考える際には、以下の3点をそれぞれ設定することをお勧めしています。
  1. 現在の状況はどうか?
  2. プランがないと未来はどう変わる?(プランなしの未来)
  3. プランがあると未来はどう変わる?(プランありの未来)
1点目と2点目とをあえて別個に用意してあるのがポイントです。
……今回はここでいったん切ります。次回は、各項目について自分なりに調べてみた結果を述べると共に、試合ではどのように扱われていたかについても紹介していきます。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「十把一絡げ」続き [ディベート]

10/30 に JDA秋大会のジャッジをしてきました。予選2試合と決勝の全部で3試合をジャッジしました。これらの試合において、「十把一絡げ」という観点から気になった点を書きます。
(以降、AD, DA はそれぞれ advantage(利益)・disadvantage(弊害)の略です。また、今回の論題は原発廃止です。)

自然エネルギー

これについては、肯定側・否定側ともにリサーチが間に合わなかったという印象を受けました。典型的な流れとしては、以下の通りです。
  1. プランには「自然エネルギーの開発」みたいな条項が入っている。
  2. 否定側は「電力不足」的な DA を出す。
  3. 肯定側は「自然エネルギーがある(から大丈夫)」的な反論をする。
  4. 否定側は「自然エネルギーでは不十分」的な反論をする。
  5. 自然エネルギーについて、これ以上は詳細にならないまま試合が終わる。
個人的には、自然エネルギーの中でも地熱発電あたりの議論が出てくれると面白かったのですが……。

放射線と放射能と放射性物質

「放射能」は、本来の意味は「放射線を出す性質」のことですが、「放射性物質」(そのような性質を持った物質)の意味で使われることも多く、少なくともディベートの試合で出てくる「放射能」は「放射性物質」の意味で使われることが(経験的には)ほとんどです。
今大会では、これらを最初からあからさまに混同しているような例は見かけなかったのですが、反論に反論を繰り返しているうちにディベーター自体が混乱しているように見受けられる例がありました。
  1. ケースにて、「地震が起こると放射性物質が外に漏れる」という主張の後、「発ガン率は放射線の被曝量に比例する」というカードを読んだ。
  2. 否定側は「閾値以下の被曝は無視できる」と反論した。
  3. 以降、比例か閾値かで議論が繰り広げられた。
途中で、「放射性物質」から「放射線」に話がすりかわっているのがお分かりでしょうか? そのため、「比例なのか閾値なのか」という議論は、結論がどちらに転んでも、それだけでは試合の勝ち負けにはあまり関係ないという、何ともモッタイナイことになっていました。

臨界と自然崩壊

どちらも原子核の反応ですが、起こっている現象は異なります。福島第一原発では、地震発生時に臨界を止めることはできたものの、その後で燃料は自然崩壊によって熱を出し続け、それを冷やすことができなかったために結果として水素爆発が起こってしまったと私は理解しています。
さて、今回の大会で出てきたケース(肯定側第一立論で読んでいるモノ)では、一例を除いては、(1) 地震発生時に臨界を止められない(暴走する)可能性がある (2) 臨界を止められても燃料を冷却できない可能性がある――という二段構えになっていました。それに対して、否定側からの反論が、どちらに対してのものか不明な場合がありました。
つまり、「○○という装置が事故を防ぐ」的な反論をした場合に、それが「だから臨界を止められる」という結論につながるのか、それとも「だから崩壊熱を冷やせる」なのか、両方なのか、それ以外の作用の話なのか、よく分からなくなることがありました。

日本の原子力関連技術

原発廃止についての伝統的な DA の一つに、「今までは、日本の優れた原子力関連技術を海外に輸出することで海外での事故を防いできたが、プランによってそれができなくなってしまうために海外で事故が発生するようになる」というものがあります。(私は学生時代に、この DA を「インターナショナル・セーフティー・カルチャー」と呼んでいた記憶があります。)
今大会では、決勝で否定側が2番目の DA として出していたものがそうです。
この DA が議論されるときは、「日本の原子力関連技術」が十把一絡げに扱われることがよくあります。実際、否定側第一立論(1NC)では、「原子力関連技術」を不明瞭にしたまま出していました。
ただ、以降のスピーチにおいて、技術などを詳細にする方向に議論が進んだのは、評価できると思います。否定側第二立論(2NC)では、技術の具体例(製鉄・耐震・運転ノウハウ)と対象国(トルコ)を明確にしました。それに対して肯定側第一反駁(1AR)では、3つの技術それぞれについて「日本の原発を廃止したからといって、トルコにおいてこの技術が導入されないということはない」という反論をしていました。
1AR での反論が有効に機能したためか、否定側は最終反駁(2NR)ではこの DA を捨て、もう一つの DA とケースアタックのみを残すようなスピーチをしていました。
(この DA での主張は「事故が起こる」なのに対し、ケースアタックでの主張は「事故は起こらない」なので、否定側にとっては矛盾なく説明するのが難しいという事情もあったと思いますが。)


前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。